かくて紙文化は消えゆく
![高知城下の板垣退助像](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/3e518f88-53b6-422b-b7bb-ebfe9fd73d40-1701032022.jpg)
高知城下の板垣退助像
酒蔵巡りのため高知を訪れている私。毎朝5キロ走るのを日課にしているが、この街ではいつも高知新聞本社前を通る。なぜなら社屋壁面の掲示板にその日の朝刊が毎朝張り出されるから。今回もおなじみのコースを走ったのだが、おや? いつもの場所にいつもの新聞がない。掲示板が空っぽだ。
![](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/31c286a8-ba3b-4f55-83bf-46f5627598fc-1701032100.jpg)
休刊日じゃないよなあ……と思いながらよく見ると端に張り紙がある。
「社屋移転に伴い、8月31日をもちまして、当掲示板への新聞掲示を終了します。」
![](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/5197d2c4-ebb9-428e-8e12-81185b571eac-1701032135.jpg)
え~っ、高知新聞移転したの? 知らなかったよ。8月に来た時はここにあったのに。夕べ高知新聞の人と呑んでたのに話題に出なかったよ。アホな話ばかりしてたからか? それはともかく張り紙のお知らせに続く次の一節が沁みる。
「これまでの間、足を止めてご覧いただき、誠にありがとうございました。」
![](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/1659afaf-54ca-4422-8c5c-04ba072ebcb7-1701032307.jpg)
そうだよ、私も高知に来るたびここで足を止めて見ていたんだ。多くの高知人が同じことをしていただろうし、新聞社として長年のご愛顧に感謝の言葉を綴ったのだろう。そう感じてふと、2年前この社屋で編集幹部の方から聞いた話を思い出した。私が元はNHKの記者だったと知った上での思い出話だ。
「私(編集幹部)がまだ駆け出しだったころ、ウチの掲示板に新聞が張り出されるのを毎朝見に来るNHKの新人記者がいましてね。まだ暗い朝3時ごろ、毎日ですよ。抜かれている記事がないか確認していたんですね。他社のライバルながら大変なことだと尊敬していました」
![高知新聞旧社屋の向かい、画像右奥に見える鉄塔がNHK高知放送局](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/c56bb7b0-97ac-4a19-b734-2d1279339883-1701032366.jpg)
高知新聞旧社屋の向かい、画像右奥に見える鉄塔がNHK高知放送局
なるほど、それは確かに凄い熱量がなければできない。めったにできないことだからこそ、この編集幹部も30年近くたってなお覚えているのだろう。でも、待てよ。この幹部が駆け出しの頃のNHK高知放送局の新人記者って、私もよく知るアイツのことじゃないか? 局内でもっぱら「ダチオ」の愛称で親しまれている奴。もしやと思い実名を出して確認したら、やっぱりそうだった。
ダチオはご存じの方ならよくおわかりのとおり、常に冷静沈着で物静か。時に寸鉄人を刺す一言をつぶやくが、「僕、熱くなんかならないもんね」と言わんばかりの醒めたポーズを崩さないニヒルな男だ。そんな奴が新人時代、毎日早朝、高知新聞に通って壁新聞の記事をチェックしていたのか。まあ、高知で抜かれるとすればまず高知新聞だろうからよくわかるが、わかってても実践するのは難しい。ダチオ、お前めっちゃ熱いことしてたんやな! 何かうれしいよ。
ところで一説によると、彼は毎晩夜廻りもしない不真面目?な記者だったので、高知新聞の掲示板を見に行くのは毎晩ではなく大きなヤマがあった時だけだったという。また抜かれをチェックするばかりではなく、ごくまれにこちら(NHK)が抜けそうな時に、高知新聞に先に書かれていないかチェックすることもあったという。だがいずれにせよ高い熱量で仕事をしていたことは間違いない。
![高知新聞新社屋に掲示板はない](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/73d480d6-299e-4f84-994e-70d33886892d-1701032535.jpg)
高知新聞新社屋に掲示板はない
高知新聞本社は近くの高知市役所の向かいに移転した。真新しいその建物の壁面に、新聞の掲示板はもうない。張り紙ではこう知らせている。
「なお、新社屋では新聞掲示をすることができません。ご了承ください。」
![](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/b8dedf1f-f9df-4cca-8ded-921777bf4029-1701032654.jpg)
そりゃそうだ。だって今じゃわざわざ新聞社まで来て壁の新聞を見なくても、ネットですぐに記事を見られちゃうから。ダチオの後輩たちが毎朝3時に通う必要もないわけだ。そのダチオは今、NHKでネット報道の最前線に立ちウェブ記事配信を牽引している。これが時代の趨勢というものだろう。かくて紙の文化は消えゆくのだなあ、と実感した土佐の朝だった。
……だが、待てよ。感慨にふけっている場合か? 土佐といえば自由民権運動、板垣退助の有名な言葉がある。
「板垣死すとも自由は死せず」
![板垣退助の生誕地はNHK高知放送局のそばにある](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/2ab19ddc-bd0c-4922-97e8-fdbc62f2a41c-1701032816.jpg)
板垣退助の生誕地はNHK高知放送局のそばにある
暴漢に襲われた板垣がとっさに叫んだとされる名言だ。実はそうは言わなかったという説もあるが、なによりその言葉の精神が大切だ。
「(紙の)新聞死すとも自由(な報道)は死せず」
新聞も放送も、旧来メディアは生死のはざまに立っている。これまで紙や電波で伝えてきたことを新たな時代にどう伝えるか? 自由な報道の精神を死なせず生かすことができるか? それが旧来メディアで生きてきた私たちに問われている。
![掲示板があった高知新聞旧社屋。横のRKC高知放送とつながっていた](https://d2fuek8fvjoyvv.cloudfront.net/fuyu3710.theletter.jp/uploadfile/866ca98a-f3b4-4007-b55c-0242e726a3d4-1701033006.jpg)
掲示板があった高知新聞旧社屋。横のRKC高知放送とつながっていた
ダチオさん、あなたの話題をネタにさせていただきました。ご笑覧ください。
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