取材は愛である ~人の不幸を取材することについて~

早稲田ジャーナリズム大賞の記念講座の講義にて、人の不幸を取材することについてお話させていただきました。
相澤冬樹 2021.07.18
誰でも

聖火リレーの批判音声を中継で消したNHK。オリンピック翼賛報道に終始しスポンサーに腰が引けているように見えるマスコミ各社。報道の自由ってあるんでしょうか?マスコミ人が自ら自由を放棄しているように見えます。そもそも報道の自由ってなぜ必要なんでしょう?マスコミの記者のためではないですよね。報道の自由は権威や権力から自由に報道するということで、好き勝手に取材報道するという意味ではないはずです。

大事故大事件大災害のたびに問題になる被害者ご遺族取材。それってなぜ必要なのか?いらないんじゃないかと感じる人もいるでしょう。実名報道は何のため?なぜ匿名ではいけないの?これも多くの人が疑問に思うこと。マスコミ不信の大きな一因です。こんなことを真剣に考えてみませんか?

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これは、早稲田ジャーナリズム大賞の記念講座の講義概要(抜粋)です。週刊文春に去年3月出した記事『森友自殺財務省職員遺書全文公開「すべて佐川局長の指示です」』がファイナリスト(最終選考)に残ったことでお声がかかり(大賞は別作品)、早稲田大学の学生さんを対象にリモートで講義を行いました。4月22日のことです。

被害者・ご遺族の取材は、「人の不幸」を取材することに他なりません。なぜ人の不幸を取材するのか?人の不幸に土足で踏み込んでいるのでは?どんな取材なら許されるのだろう?あるいは、記者の夜討ち朝駆け、特ダネ競争に意味はあるのか?誰も知らない「真実」をどうしたらつかむことができるのか?それを90分間の講義時間で伝えようと考えました。この記事は、その時の講義内容をもとに一部加筆修正したものです。

記者になるつもりじゃなかったのに…人生何が幸いするかわからない

講演ではいつも「つかみ」を考えます。どういう方が聞きに来ているかを考え、その方々の関心を冒頭から引き付けるようなネタを用意します。学生さんたちと私は年齢差が40年ほどもありますから、ひと世代どころか二世代くらい違います。孫とおじいちゃんです。どんなネタなら、おじいちゃんの話に興味を持ってもらえるかな?と考えて、就活の話題にしてみました。35年前、1986(昭和61)年夏の就活メモが残っていたのです。その書き込みをお見せしながら話をしました。

『私は本が好きで出版社に行きたかったんです。当時の就活メモを見ると出版社ばかり次々に受けていたことがわかります。でもどこにも採用されませんでした。それでNHKに入って記者になったんです。あれで人生が大きく変わりました。この就活メモを見ると文藝春秋も受けていることがわかりますが、大きくバツ印がしてあります。最近週刊文春で仕事をすることが多いので、これを編集部の方に見せたら「相澤さんがウチに来てたら週刊文春で活躍していたでしょうね」と言われました。そこできっぱり返しました。「私は文芸志向ですから、本が作りたかったんですから、週刊誌なんてヤクザなところには行きませんから」…今となったら笑い話ですね』

この話、果たして学生さんたちに受けたのか?リモートはリアルタイムで反応がわからないのがつらいところです。でも講義後の質疑応答で学生さんの一人が「最初は記者志望じゃなかったと聞いて意外でした」と言ってくれたので、つかみはまずまずだったようです。

相澤の就活ノート - 相澤冬樹のリアル徒然草
相澤の就活ノート - 相澤冬樹のリアル徒然草

ここから本題に入っていきます。

『私は1987年にNHKに記者として入局し、31年間、報道の現場で仕事をしてきました。今も記者を続けています。今回は、森友事件をはじめとした取材経験をもとに、報道の現場にいる人間、特に、記者がどのようなことを考えて仕事をしているのかお伝えしたいと思います』

(以下の文章はおおむね講義内容に沿っています)

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安倍首相の答弁が森友公文書改ざんの引き金に

森友事件の発端は、森友学園に国有地を約8億円も値引きして売ったことでした。土地評価額9億5600万円の土地を8億円値引きしたのですから、ただ同然です。当然、なぜこのような大幅な値引きがなされたのか、問題になりました。

森友学園がその土地に建てようとしていた小学校の名誉校長に、安倍首相(当時)の妻である安倍昭恵さんが就任していました。これが問題になりました。首相の妻が名誉校長をしているから、学園に忖度して安値で土地を売ったのではないか、と疑いがもたれたのです。これが国会で追及されました。答弁で安倍首相は、「私や妻がこの取引に関与していたら、私は首相も国会議員も辞める」と言い切りました。答弁が「私が関与していたら辞める」であれば、これほど問題になることもなかったでしょう。なぜ、妻は関与していないと、この段階で断言したのでしょう?

実は、国有地の取引をめぐる公文書の中に「安倍昭恵」の名前が何度も出てきているのです。安倍首相が国会で答弁した後、財務省で確認したところ昭恵さんの名前がたくさん出ている。これはまずい、ないことにしてしまおうと、改ざんが始まりました。公文書にある安倍昭恵さんの名前が全部消されました。最初からなかったことになったのです。

実際にこの改ざんをさせられたのが、財務省近畿財務局にいた赤木俊夫さんです。赤木さんは「このようなことをすべきではない」と反対しましたが、結局上司にやらされ、「私は犯罪者だ」と悩み、自分一人のせいにされそうだ、職場から見放されたと苦しんで、自ら命を絶ちました。それが2018年3月7日のことです。

命を絶った赤木俊夫さんが遺した改ざん告発の「手記」 - 相澤冬樹のリアル徒然草
命を絶った赤木俊夫さんが遺した改ざん告発の「手記」 - 相澤冬樹のリアル徒然草

この手書きの文章は、赤木さんが命を絶つ直前に手書きで書き残したメモです。「最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ」とありますね。自分は反対したのに上司に無理やりやらされた、最後は自分のせいにされると嘆きながら、命を絶ったことがわかります。

メモには具体的な情報はほとんど入っていませんが、赤木俊夫さんはこのメモ以外に、公文書改ざんの実態を告発する手記をパソコンに残していました。A4サイズで7枚あります。誰がどう言ったということも含めて、改ざんがどのように行われたか書かれています。手記の中で赤木さんは、「本当は、自分でこれを明らかにしなければならない。公的な場所でしっかり説明しなければならない。しかし、うつ病が重くなって説明することができない。だから、この方法をとるしかなかった」という趣旨を書いています。また、「55才の春を迎えることができない儚さと怖さ」という一文もあります。赤木俊夫さんは3月28日に55歳の誕生日を迎えるはずでしたが、3月7日に亡くなっています。55の春を迎えることはできなかったのです。

手記には「元は、すべて、佐川理財局長の指示です」とありました。財務省の理財局長だった佐川宣寿氏のことです。本省の指示で現場の私がやらされた、と告発しているのです。赤木俊夫さんは、世の人たちにこのことを知ってほしかった。だから手記を書き残した。

ところが、財務省としてはこの手記を公にされては困るから、俊夫さんが亡くなった翌日、上司が妻の赤木雅子さんの自宅にやってきて、「遺書はありますか?」「絶対マスコミには出さないように」「マスコミに出すと大変なことになります」と、口止めして帰っていくわけです。これを聞いた雅子さんは、「夫はこの手記を公にしてほしいと思って書いたに違いない。でも、職場の人はマスコミに出さないでと言っている。出したらどのようなことになるかわからない。怖い」と、とりあえず手記は出さないことにしました。

奥に写っているのが、赤木雅子さんです(写真●●)。机の上のコードは、夫の俊夫さんが命を絶った時に使ったコードです。大好きだったオーディオのコードを外して、首に巻きました。つらい出来事から2年経って、取り出して見せてくれた時の写真です。俊夫さんが亡くなった場所は、雅子さんの右手のほうにある窓の手すりです。俊夫さんはこの手すりにコードをかけて、自ら命を絶ちました。雅子さんはそんな出来事があった場所に、今も一人で暮らしているのです。

  • 補足
    このコードを、赤木雅子さんはその後、6月24日に外国特派員協会で行った記者会見で現物を見せながら話をしました。相当の決意と覚悟がなければできないことだと思います。

***

妻・赤木雅子さんの決断

NHKを退職して3か月が経ったころ、突然、赤木雅子さんから私にメールが届きました。「ちょっとお会いしてお話したいことがある」という内容でした。それまで雅子さんは、マスコミの取材に応じていませんでした。私も会ったこともないし、取材しようとアプローチしたこともありませんでした。そういう中で連絡があったことは非常に驚きでした。

後でご本人に聞いたところ、NHKを辞めるいきさつをネットの記事で見て、「ここにも森友のことで被害を受けた人がいる」と、俊夫さんに重ね合わせたそうです。それで俊夫さんの残した手記を私に託して、自分は死んでしまおうと考えていたそうです。もちろん私にはそういういきさつはわかりませんが、とにかくすぐに会わなくては、と思い、その日のうちに会いに行きました。

初対面で突っ込んだ話はできないと思っていましたが、お会いするといきなり雅子さんが「これ、見たいですよね」と、バッグの中からA4の紙を7枚取り出しました。それが、先ほど言った俊夫さんの手記でした。

「やっぱりこういうものがあったんだ」と驚きました。われわれ報道機関の人間の間では、俊夫さんが遺書のようなものを残して亡くなったらしい、という話はありました。その遺書の中で改ざんについて何か書かれているらしい、という話もありました。しかし実際には誰も見ていないし、どういうことが書かれているのか、誰も知りませんでした。そのような状況の中で現物を見せていただいたわけなので、大変興奮しました。

7枚の書面を見て、雅子さんに「コピーをとっていいですか」と尋ねたところ、「だめです」と言われました。「メモをとっていいですか」という要望にも、「だめです。見て覚えてください」と。でも、見るだけでは覚えられませんよね。そこで、ある程度重要なところを読み上げました。実は念のため、記録用に録音をとっていたのです。そこに録音されるように、わざと読み上げました。

別れ際に雅子さんは、「このことは記事にしないでください。裏切られたら私は死にます」とおっしゃいました。私は「これは本気だな」と思いましたので、雅子さんから了解が得られるまで待つしかないと思いました。

これも後ほどご本人に聞いたところ、赤木雅子さんは当初は私に手記を託すつもりでしたが、私が手記を読み上げた姿に不審を抱き、託すのをやめたそうです。その帰りの電車の中で、「あれはきっと録音していたに違いない」と気づきました。だから「記事にされるかもしれない」と思ったそうですが、実際には私はその時記事にはしませんでした。

それから1年4か月の間、私は赤木雅子さんと何かしていたかというと、何もしていません。手記を公にしたほうがいいという説得や、お願いめいたこともしていません。

むしろ、こちらから連絡しないように遠慮していました。雅子さんから、相談や悩みがあると連絡があったときに、話をしに行っていました。「夫の上司が弔問に来て話した内容を聞いてくれませんか」と言われて聞きに行ったこともありました。

聞き終えて、「夫の上司は別に悪くないということ、わかりますよね」と言われて、「いや、私が聞いたら結局、悪いことをしていますよ」と、雅子さんの考えと合わないやりとりもありました。

「どうして相澤さんはそんなにわからずやなんですか」と言われて一時疎遠になったこともありましたが、本音の会話を重ねる中で徐々に率直な思いが聞けるようになったと思います。ある日、雅子さんから「弁護士に会いに行くたびに泣いて帰るんですよ」と聞かされたことがありました。私が紹介したほかの弁護士に会った雅子さんは、その弁護士に「あんた、一人でつらかったやろうなあ」と言ってもらったことに感激してその日のうちに弁護士を代えると決断。こうして提訴、そして手記公開へと事態が進むことは確実になりました。

この段階で私は初めて手記の記事化を考え始めました。裁判になれば手記は当然証拠として提出される。その前に以前から関係のある週刊文春で記事にしたかったのですが、雅子さんは俊夫さんの死後の報道で文春を嫌っていることも知っていました。

そこで私は雅子さんに「新聞やテレビで出すのもいいですけど、週刊誌もいいですよ。電車の中吊り広告でみんなが見てくれますから」と遠回しに切り出しました。すると勘のいい雅子さんはすぐに「週刊文春のことでしょ」と気づきました。その時の顔が笑顔だったので、私は「これは大丈夫だ」と感じました。こうして雅子さんと私の間で「手記の記事はまず週刊文春に載せる」という合意のようなものができあがったのです。自分から言い出さず、あくまで相手がその気になってもらうまで待つ、そういう姿勢でした。

***

手記の公表

この手記は、2020年3月18日発売の週刊文春に掲載され、公のものになりました。グラビアに「魂の叫び」として、俊夫さんの手書きのメモを載せています。そして、トップ記事として手記が掲載されています。手記は瞬く間に評判を呼び、発売翌日、出版元の文藝春秋が完売のニュースリリースを出しました。週刊誌がなかなか売れない中、53万部売れました。それだけ皆さんがこの記事に関心をもって読んでくれたということです。文春が完売したのは3年ぶりのことだそうです。

赤木さんの手記が公表された後何が起きたか、少しお話ししましょう。

一つは、財務省の秘書課長だった伊藤さんという方がいます。この改ざんの内部調査をし、報告書をまとめた方ですが、その内部調査の報告に雅子さんが納得いかないということで、私が伊藤さんに会いに行き、取材をしました。伊藤さんが雅子さんに説明した際、改ざんは安倍総理のあのときの答弁がきっかけになったと認めている部分があるのです。改ざんにかかわった誰かがそのように話したはずです。こうしたことは財務省の調査報告書では明確になっていませんでした。

ある夜、伊藤さんが自宅の最寄り駅から歩いて帰るところで声をかけました。このように面識のない相手にアポなしでいきなり話を聞こうとすることを「直撃取材」といいます。アポをとろうとしても応じないだろう相手、質問にまともに答えないだろうと思われる相手、それでもぜひ話をしたい場合にとる手法です。

途中立ち止まって、激しいやりとりになりました。この時、非常に険悪な雰囲気になり、伊藤さんが「警察を呼ぶ」と言い出しました。私は「警察を呼ぶんですか。いいですよ。どうぞ、どうぞ」と言いましたが、結局呼ばずに、伊藤さんは家に帰っていったということがありました。夜の0時すぎのことです。

翌朝、伊藤さんが出勤のため自宅を出たところを、また待ち構えました。前日の険悪な雰囲気で終わったままにしないほうがいいと思い、もう一度会いに行ったのです。駅の階段を一緒に上がり、一緒に電車に乗って、話をしました。これは取材というより関係修復のためのもので、和やかなやり取りに終始しました。このように直撃取材して聞いた話を生かして、「安部答弁と改ざんは関係あり、財務省幹部音声入手」という見出しで、再び週刊誌の記事にしました。

***

人の不幸を取材する意味

記者の仕事は、人の不幸を取材することがよくあります。私も事件、事故、災害のたびに、被害者やご遺族を取材してきました。例えば1995年の阪神・淡路大震災。私はその時ちょうど神戸にいましたので、壊滅した神戸の街の中で取材したことをよく覚えています。

2004年、奈良女児誘拐殺害事件という出来事がありました。奈良市で小学1年生の女の子が誘拐され、その日の深夜に遺体となって道路の側溝で発見されたという事件です。被害者の女の子は携帯電話を持っていたのですが、犯人が女の子の携帯電話を使って、その子のお母さんに、次は妹を狙うという犯行予告のメールを送り付けたのです。当然のことながら、ご遺族は大変ショックを受けましたし、地域社会に戦慄が走りました。犯行から1月半たって犯人は逮捕されましたが、この事件でもご遺族の周辺を取材しました。

2005年にはJR福知山脱線事故がありました。福知山線で、快速電車がスピードを出しすぎてカーブを曲がり切れずに脱線したという事故でした。脱線した先にマンションがあり、そこに激突して車両がぺちゃんこになって、107名の方が亡くなりました。終着駅には同志社大学がある路線だったので、たくさんの学生が犠牲になりました。

こういうことがあるたびに、いわゆるご遺族取材をするわけですが、嘆き悲しんでいる人に対して取材することに、どのような意味があるのかとよく批判されます。

私なりに思っていることは、記者の仕事は事実を伝えることです。亡くなった人にはその人の人生があり、周りには家族や友人がいて、亡くなった人がどのようなことを思っていたのか、どのような生き方をしていたのか、ということを伝えていかなければならないと思っています。亡くなった人を大切に思う気持ちがあるならば余計に、です。ただマイクを向けるだけではありません。ご遺族の方々と人間関係を作り、そのうえで本当の気持ちを聞く作業をします

赤木俊夫さんの手記に関する取材についても、同じことが言えます。この事件は、妻の雅子さんにとって不幸以外のなにものでもありません。なぜ何の落ち度もない赤木さんご夫妻が不幸な目に遭わなければならなかったのか、なぜこのようなことになったのか、ということをしっかり伝えていかなければならない。そこに報道の意味があると思っています。

***

実名報道、匿名報道

実名報道、匿名報道の問題もあります。実名は不要という意見の方もいますが、私は実名主義です。しかし、最初からそうだったわけではありません。学生の頃は匿名でもいいのではないか、と思っていたこともあります。

ではなぜ、今は実名主義なのか。

そもそも名前のない人はいません。名前は、その人の象徴、その人そのものです。その人の尊厳を大事にするという考えであれば、その人が確かにそこにいた事実を表すものとしての「名前」だと思うわけです。

もちろん、一律実名というわけではありません。例えば赤木雅子さんも、最初は仮名でした。ご本人としてはいきなり実名を出すことにためらいがあるということで、仮名にしました。途中から雅子さんが決断されて、実名になりました。このように、どうしても匿名でないと無理ということもあるので、なにごとも実名でなければならないというつもりはありません。しかし、実名を出そうとする理由は、先ほど言ったようなことだと私は考えています。

***

報道の自由、報道の責務

報道の自由とは、報道する側が好き勝手にやっていいということではありません。しかしそれを勘違いしている報道人がいるかもしれません。報道の自由というのは、あくまでも権力に対して、報道はひるむことなく事実を報道することだと思うのです。

私は記者1年目のころ警察の取材をしている時に、先輩から権力に都合の悪いことを調べ出せと言われました。不祥事のスクープをとって初めて一人前のサツ回りだと。警察に限りません。政治家でも役所でも国でも、とにかく権力というのは強い力を持っている一方で、見えないところで何か悪いことをしているかもしれない。それを見つけ出すのが私たち記者の仕事だと、教えられました。

マスコミ報道の使命を語る時、「権力の監視」とよくいわれますが、私は「監視する」という言葉は、上からものを言っているようであまり好きではないのです。権力を監視するのは本来私たち一人一人であって、報道は国民が権力を監視できるように事実を伝える

つまり「事実をもって権力に対峙する」のが報道の使命で、権力にひるまずにきちんと報じることが大切だ。それが本当の意味での「報道の自由」だと思っています。

聖火リレーの中継でNHKが、オリンピック批判の音声を消してしまったことがあります。オリンピック全体に腰がひけた報道には、間違いなくスポンサーの影響があると思うのですが、結局、権力に対して自由を自ら放棄して、その一方で、取材現場で被害者に対して好き勝手にふるまっているように見えるから、「報道の自由なんて、そんなものあるのか?必要ない」という人が出てくるのだろうと思います。本来あるべき報道の自由が逆転してしまっていて、報道が市民から信頼されなくなる危険があります。

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取材と恋愛は似ている…ただしストーカーにならないように

私は、取材は恋愛に似ていると思っています。取材は、相手が「よく来てくれました。これが資料です。どうぞ書いてください」というようなものではありません。相手が知られたくない、言いたくないことを聞き出して伝える作業です。

取材の時、相手がそうした話をしてくれるのはなぜかというと、信頼関係を作ることができたからです。この人だったら言ってもいいかな、この人にやってほしい、そういうふうに思ってもらえたからなのですね。そういう関係を構築するということだと思います。

このように相手に好かれて信頼を得るところは、恋愛と似ていると思います。ポイントは、相手のことを第一に考えているかです。現実には、なかなか相手のことを第一には考えられないし、自分ファーストになりがちですが、自分のことも大事にして、相手のことも大事するという行動原理、ここが恋愛に非常に似ていると感じています。

ただ、愛の押し付けはよくありません。「私はあなたが好きだ、好きだ、好きだ!」とずっとつきまとったら、それはストーカーです。ストーカーではだめです。ストーカーを好きになる人はいません。取材も似ています。私は知りたい、私はこれが聞きたい、と押すのですが、それだけだと取材相手はどんどん引いていきます。記者がストーカーになってはいけません。

ストーカーにならないためには、結局、相手のことを考えるということになります。私はあの人のことが好きです。あの人は私のことをどう思っているのだろう。たぶん好きじゃない。では、どうやったら好きになってくれるか。あの人は何が好きなんだろう、何に関心があるんだろう、どんなことだったら会話がはずむんだろう――。このように、相手のことを考え、調べ、相手の関心を引く言動をして、自分に関心を持ってもらおうとすることは、取材でも同じです。この人はどういう人で、何に関心があって、何が好きで、何が嫌いで、どういう話だったら食いつくのか。

例えば、ある人のところに取材に行ったとします。「記者さん、何も言うことはないよ」と言われても、「いいんです、いいんです。そんな話聞きませんから」と、全く別の話をします。前もって調べた、その方が関心をもっていそうな話題を振るのです。そうすると、相手は「ん?」と。その話だったら好きな話題だと、のってきます。そして会話が成立すると、人間はなんとなく心のハードルが下がります。そうするうちに、ふっと、こちらが知りたい話をしてくれるのです。

***

取材は楽しい

そのようなことで、取材は楽しいことなのです。人に好かれるために努力する仕事だからです。

しかし、またここで矛盾することを言います。私がはじめてニュースデスクになった時、1年生の若い記者が「そんなことをしたら、相手の人に嫌われます」と言ってきました。私は、「記者というのは嫌われ者の商売だ。嫌われることが怖くて仕事ができるか」と言いました。矛盾しているようですが、本質的には相手が知られたくない、聞かれたくないことを、調べよう、聞きにいこうとする仕事ですから、嫌がられるのは当たり前です。

しかし一方で、嫌われっぱなしでは何も聞けないですから、好かれる必要もあります。そのために、夜討ち朝駆けをします。夜討ち朝駆けは無駄、いらないといわれますが、そうでしょうか。確かに無駄なことも多かったと思いますが、無駄なことの中にこそ真実がある、ということもあるのではないでしょうか。

私は、夜討ち朝駆けは記者のヒンズースクワットだと言っています。格闘家が身体を鍛えるためにヒンズースクワットをしますよね。一回や二回ではもちろん全然鍛えられない。しかし百回、千回とすると、徐々に鍛えられていきます。夜討ち朝駆けも、一回や二回まわっても何の成果もありません。百回まわっても成果がないかもしれません。しかし、百回、千回とまわると何かが見えてくるのです。

私は千回以上、さんざん夜討ち朝駆けをしましたが、間違いなく今の取材に生きています。なるほど努力は人を裏切らないなと、つくづく思います。あの時はこんなことは無駄じゃないかと感じたこともありましたが、今は無駄ではなかったと思っています。

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努力は人を裏切らない

記者の仕事は3K職場だとよく言われます。自分の時間がない、しんどい、何のためにそんな取材が必要なのかわからない。そんな声を聞きます。それももっともだと思います。マスコミ界は古い因習を引きずっていて、長時間勤務とパワハラ、男社会の独善が横行している部分があります。でも、こういう課題は少しずつですが変わりつつあります。私がこの世界に入った30年前に比べれば大きく変わっています。

それに、記者の仕事には何にも代えがたい魅力があります。それは「ヒーロー」になれるということです。ヒーローと言いましたが、男女同じです(ヒロインというと日本では意味合いが変わってきます)

家入レオに「ヒーロー」という曲があって、かっこ悪くてヒーローとはとても言えないけどヒーローになりたいと歌っています。その点、記者もかっこ悪いことが多々ありますが、困っている人のためになるニュースや記事を出せたら、それはその人にとってのヒーローになれたことになります。そういう記事はきっと出せます。あるいは読者視聴者にとってのヒーローにもなれるでしょう。人に喜んでもらえる仕事ができるって素敵なことです。

それでも夜討ち朝駆けで自分の時間を犠牲にして努力しなきゃダメなんでしょ?と思うかもしれませんが、そうではないんです。「常に自分を犠牲にしてでも努力せよ」と言いたいわけではありません。社会の姿も取材手法も世につれ変わっていきます。自分の生活を大切にしながら、真実に迫る方法はあるはずです。

でも、まったく努力なしで得られるものはありません。人と同じことをしていては人と同じ成果しかあげられないからです。自分にあった「努力」を皆さんそれぞれが見つけてください。そうすればきっと「努力は人を裏切らない」はずです。

***

終わりに

今回の「徒然草」、いかがでしたか?前回から10日も間が空いてしまって申し訳ありません。せめて週1ペースは守りたいと思います。SNSで予告した「いじめ事件」の記事は、現在鋭意構想中です。もう少し時間がかかると思いますが、必ず出しますのでしばしお待ちください。これからも「相澤冬樹のリアル徒然草」をよろしくお願いします。

(ご参考)きょう18日、名古屋の名城大学で行われる「愛知サマーセミナー」に講師として参加しました。11時10分から12時半まで。こうした機会があるときは事前にお伝えするようにいたします。

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