17年前の女児殺害事件で17年前の自分に試される

奈良で小学1年生の女の子が誘拐され殺害された事件から17年。あの時私はさらに17年前、新人時代の自分との約束に試された。あの出来事をここに記す。
相澤冬樹 2021.11.17
誰でも

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社会を震撼させた女児誘拐殺害事件

17年前のあの日、私はNHKの大阪府警担当キャップだった。2004(平成16)年11月17日の夜、同期の記者、北澤和彦から電話が入った。北澤は当時NHK大阪の事件担当デスクとして関西一円の事件取材に目配りする役回りだった。

「相澤、大変な事件が起きた。すぐ奈良に来てくれ」

その日の午後、奈良市の郊外で、下校途中の小学1年生の女の子が誘拐された。母親の携帯に「娘はもらった」という言葉とともに女の子の画像が送りつけられてきた。深夜、女の子の遺体が道路脇の側溝で見つかった。

さらに犯人は女の子の携帯を使って「次は妹だ」というメールを母親に送りつけた。この「再犯予告」とも言える脅迫メールに地域社会は震撼した。奈良県警としては、この犯人に次なる犯行をさせるわけには断じていかない。一刻も早い逮捕が求められていた。

報道陣の取材もヒートアップし、NHKも総力をあげた。本筋の奈良県警関係者への取材は奈良放送局の記者が総出で担当。さらに関西一円から若手記者が応援要員として奈良に送り込まれ、現場周辺での聞き込み、関係者への接触、警察署に出入りする幹部の張り番と、縁の下の力持ちの取材を重ねてくれた。

これらの記者たちを束ねて陣頭指揮にあたるのが「現場デスク」だ。普段は大阪府警キャップとして大阪での事件取材を指揮する私も、関西のどこかで大事件があった場合はデスクとして現場に出向く。この時、現場デスクの役目を担ったのは、事件担当デスクの北澤、府警キャップの私、そして府警サブキャップの高橋修だった。高橋という記者が複数いたので彼は「修」と名前で呼ばれていた。初任地大阪で大阪府警を担当し、社会部に行ってからも警視庁、警察庁とほぼ警察中心に取材をしてきた事件記者の中の事件記者だ。この3人が1週間ずつ交代でNHK奈良放送局に詰め、取材の指揮をとった。

事件は大きな進展を見せないまま1か月半がたち、12月28日の仕事納めの日を迎えた。この日を最後にニュースの時間枠は減り、報道部も休日態勢に入る。私たちも態勢を縮小し、関西一円からの応援記者は撤収。3人の現場デスクも一旦引き上げることになった。

「じゃあ、来年またよろしくな」と声を交わして奈良を去った。そのまま何事もなく正月を迎えるつもりだった。

特ダネ情報で事態急変

ところが事態はそうは進まない。翌29日の夜、またも北澤から電話がかかってきた。

「相澤、大変だ。奈良で動きがありそうだ。すぐに向かってくれ」

おいおい、またかよ、と感じながら答えた。

「ほんとかよ。きのう何の動きもなかったのに」

「そうなんだけど、きょうになって動きがあったらしいんだ。とにかく奈良に向かってくれ」

急いで奈良に向かうと、奈良局の記者たちが顔をそろえていた。

松井亜紀記者。記者5年目。地元出身で、この時、奈良での取材経験が一番経験が長かった。奈良局の記者の役割分担などまとめ役を務めながら、果敢に捜査員への取材を重ねていた。

板東昌利記者。派手な振る舞いは見せないが地道な努力を重ねていることは見て取れた。

望月麻美記者。まだ2年生だが1年生の後輩とともに奈良県警の担当で、自分たちの仕事だからと懸命に夜回り朝駆けを繰り返していた。

この3人の記者が、それぞれ奈良県警の別の筋から「あす動きがある」と情報をキャッチしてきたのだ。複数の筋で確認ができている。これは間違いない。しかもターゲットの男は毎日新聞販売店の配達員で、早朝、新聞配達に出る直前に店から任意同行するということもわかった。

情報は完璧だ。だが警察も万全の確信を持っているわけではないようだ。本人の取り調べと自宅などの家宅捜索で証拠が固まれば逮捕する、という構えのようだった。奈良局の記者たちがここまで情報を取ってきた。ここからは、その情報を生かすデスクの仕事だ。

こういう状況では、警察が任意同行をした時点では「逮捕へ」と書くわけにはいかない。警察自体がその時点で逮捕の判断を固めていない。だがこの男がホンボシだと目を付けているだろうから、取り調べや捜索が進めばかなり高い確率でこの男が逮捕されるだろう。

男の勤め先の販売店もわかった。そこで待ち構えていれば警察が男を連行する様子を撮影できる。他社が気づいていなければ、我々だけが男の連行を押さえて特ダネ映像になる。

翌朝の朝刊。読売と産経は何も書いていない。でも、朝日と毎日は、何かがありそうなことを書いていた。特に毎日は1面にデカデカと「きょう重大局面」の見出しが躍っている。さすがに自分のところの配達員とは書いていないが、きっと知っているんだな。

そう思いながら記者と映像取材クルーを販売店に向かわせた。すると、「他社は誰もいません。毎日もいません」……毎日は、容疑者が自分のところの配達員だと知らずに書いたのか! でもこれで特ダネ映像のチャンスだ。

自分のミスで大失敗

ここで私は大失敗を犯した。販売店に近づきすぎて従業員や捜査員に不審に思われてはいけないと、やや離れたところで待機するよう指示した。こういう中途半端な指示はミスにつながりやすい。果たして、現場から連絡が入った。

「すみません。離れたところにいたら警察が来たのに気づかず、連行を撮り損ねました……」

その報告を受けた瞬間、私は目の前が真っ暗になる思いだった。これは現場ではなく私のミスだ。映像を撮ることを最優先に「絶対に撮り逃がさないところで待機するように」と明確に指示すべきだった。

でも後悔しても取り返しはつかない。映像を撮るチャンスはもうない。毎日や朝日の記事を見て他社の記者も捜査本部のある奈良西警察署や男が連行された西和警察署に詰めかけ始めた。

こうなると、いくら先に知っていたと言っても他社の報道に差を付けられない。せっかくの記者たちの特ダネ情報を生かせないことになる。私の判断ミスのせいで。その責任の重大さに私は押しつぶされそうだった。

17年前の自分に試される

その時、望月麻美記者がとびきりのネタをつかんだ。午前11時頃、彼女の携帯に捜査関係者から届いたメールに「ランドセル発見」の文字が。容疑者の自宅で被害者の女の子のランドセルが見つかったということだろう。それならホンボシはこの男で決まり。決定打だ。

だがメールには「どこで」見つかったのかが書かれていない。私は疑心暗鬼になった。そもそも警察に連れていかれたあの配達員は本当にホンボシなのか? 実は参考人にすぎず、ホンボシは別に連行しているんじゃないか? この男の自宅でランドセルが見つかったと放送したら、大誤報になるんじゃないか?

記者たちの情報では、この朝連行されたのはこの販売所の男一人しか聞いていないという。それが疑心暗鬼になると信じられない。せめてランドセルが見つかった場所を何とか確認できないか?

だが望月記者が捜査関係者にメールを送っても返事は来ない。それはそうだ。相手は捜査の合間に素早くメールを送ってくれたのだろう。こちらから尋ねてもとても返信はできないはずだ。

時間は刻々と過ぎていく。正午のニュースには何らかの原稿を出さねばならない。ランドセルの記事を出すのか? 見送って「関係者を呼んで調べている」というような当たり障りのない原稿にするのか?

判断は現場デスクの私にゆだねられている。ランドセルを出さないと特ダネにはならない。きっと間違いはない。でも迷いがある。もし間違っていたら……逡巡する私に、大阪で事態を見守っていた大阪の報道部ナンバー2、報道統括の鎌田靖さんが電話してきた。その後、池上彰さんの後を継いで週刊こどもニュースの“お父さん”を務め、今はTBSひるおび!に出ている。

「相澤、いいかげんにしろ。事故になるぞ! 早く決めろ。いいから飛び降りろ!

「事故になる」とは、早く判断して原稿を出さないとニュースの制作現場が混乱して放送事故になるぞ、という意味。では「飛び降りろ」とは……多少自信がなくても記者の特ダネ情報に賭けて原稿を出してしまえ、ということだ。

特ダネと誤報は紙一重。確認は慎重にすべきだが、どこかで踏ん切りをつけないと特ダネを盤石の情報で出すことなんてできない。勝負はここにかかっている。それはわかる。

でも、これだけの重大事件で誤報を出したらタダではすまない。誤報を出された当事者もご遺族も傷つく。責任者の私は飛ばされるだろう。報道現場を外されてしまうかもしれない。私はビビっていた。

その時、ふと背後に視線を感じた。松井記者、板東記者、望月記者。それぞれ出先の持ち場にいるから実際に私を見ているわけはないが、彼らの視線を感じた。

「このデスクは私たちの情報を生かしてくれるんだろうか? 特ダネとしてニュースに出してくれるんだろうか?」

そう思って遠くから私を見つめているに違いない。その視線が背中に刺さる。その時さらに、私はもう一人、自分を見つめている記者がいることに気づいた。

17年前、新人だった僕。上関原発不正転入の特ダネ。原稿を東京に送ってもらえなかったあの悔しさ。

「将来、僕がデスクになったら、決して記者にこんな思いはさせないぞ

……私は17年前の自分に試されている。自分で自分に誓ったことを破るのか? そんなこと、できるわけないだろう。早く決断すべきだった、と決めたまさにそのタイミングで、大阪局にいたある記者が一つの案を出した。

「これって、ランドセルが見つかった場所を、男の自宅から関係先に変えたらいいんじゃないですか?」

これは情報の細部に確証が持てない時に報道各社がよくやる「ズリをかける」という手法で、原稿の表現をあいまいにして誤報を避けるのだが、この場合は有効だった。

予定稿はすでに準備されている。私は大阪で待ち構える北澤に「ランドセルでいく。予定稿を一部書き換える」と電話で伝えた。北澤は両手にそれぞれ受話器を持ち、両耳に当てていた。一方は奈良にいる私とつながっている。もう一方は東京にいるテレビニュース部社会班キャップの小倉に。事件のニュース制作の指揮官、我々の1年後輩だ。

「小倉、ランドセルを出す。自宅を関係先に変えて出す。今書き換えた。出稿した。送った!」

出稿時間は午前11時58分。正午のニュース本番まで2分もない。だが、これを間に合わせるのがニュース制作のプロだ。そしてスタジオに突っ込まれてきた原稿を、下読みもしていないのに平然と読むのがプロのアナウンサーだ。

時報とともにニュースが始まる。

「正午になりました。お昼のニュースをお伝えします」

お決まりのあいさつに続き、アナウンサーは前から予定されていたニュースであるかのように、初見の原稿を落ち着いて読み上げた。

「先月、奈良市で小学1年生の女の子が誘拐され殺害された事件で、警察が事件に関わっていると見られる男の関係先を捜索したところ、女の子のものとみられるランドセルが見つかりました

……報道各社の大阪社会部のフロアで「確認しろ!」と叫ぶデスクの怒声が聞こえる気がした。しばらくして行われた、奈良県警捜査本部の記者会見。毎日新聞配達員の小林薫容疑者を誘拐容疑で逮捕したという容疑事実に続いて、「被疑者の自宅を捜索した結果、被害者のランドセルを発見しました」。

勝った。それは報道他社との取材競争、特ダネ合戦に勝ったというだけではない。私は自分に勝った。記者の特ダネで勝負をせず逃げるという誘惑に勝った。17年前の僕との約束を果たしたんだ。

感慨に耽りながらデスク席の椅子に座り込んでいると、背後にいた修が近づいてきた。

「相澤さん、あのランドセル、よく出せましたね。私には出せなかった……」

ピカイチの事件記者による最大級の賛辞だ。私はそう受け取った。一連の取材成果に対し、松井、板東、望月の3人の記者に取材特賞が贈られた。努力して成果を上げた記者が正当に評価されてよかった。

人の不幸を取材する意味

逮捕された小林薫容疑者には性犯罪の前科があった。なぜ性犯罪は繰り返すのか? 被害者を出さないため再犯を防ぐ道はないのか? それを探るNHKスペシャルの取材制作にこの後、携わった。

それでわかったのは、彼にはずいぶん過酷な生育歴があったということ。だからと言って幼児への性犯罪が許されるわけではないが、加害者にもまた不幸な生い立ちがあった。彼は一審奈良地裁で死刑判決を受け確定。その後、刑は執行された。

被害者のご遺族は、毎年犯行日の11月17日に手記を出す。事件から17年となる今年2021(令和3年)の手記でも、大切な娘の命を突然絶ち切られたつらさを綴り、子どもたちの笑顔あふれる社会を願っている。

私たちは事件の被害者、加害者、その周囲にいる人、多くの関係者を取材する。それは多くの人の「不幸」を取材することでもある。この事件でもまた「人の不幸」に直面し、取材し、報道することになった。それは、被害者のご遺族も、加害者の関係者も、大勢を傷つけることになっただろう。では私たち記者が「人の不幸」を取材する意味は何なのか? 事件のたびに考えていた。

***

この文章は、角川新書「真実をつかむ」第6章をベースにしています。

「人の不幸を取材する意味」というテーマは、先日配信した「取材は愛③人の不幸を取材する」にも続いています。まだ考え足りていませんが。

今回の配信で、17年前の自分との約束として出てくる「上関原発不正転入事件」については、角川新書「真実をつかむ」の第1章に詳しく書いています。

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