《ロックな記者人生②》いじめにケンカを売るガガの“軍歌”
それでは私の《ロックな記者人生》第2回「レディー・ガガは軍歌である」どうぞご覧ください。
記者の基本は朝駆け夜回り。取材先の出勤や帰宅を待ち受け話しかける。うまくいくことはそうそうない。大抵はけんもほろろに追い返される。そんな時、僕は帰りの車中で大音量でロックをかける。落ち込んだ気分を吹き飛ばすため。
第1回で書いたザ・ブルーハーツは僕の記者デビューと同い年のデビューだから、新人時代に繰り返しお世話になった。あれから30余年。僕は今も記者をしている。ターゲットに会うため路上で待ち受ける。空振りに終わる。帰りの車中でロックを。相変わらずの中で変わったのは、かける曲だ。最近のお気に入りは、レディー・ガガである。
ガガは22歳のデビューでいきなり大ブレイク。2011年の第2弾アルバムも爆発的に売れた。当時、日本は311の東日本大震災直後。テレビ画面に計画停電の表示が出る中、表題作「ボーン・ディス・ウェイ」のPVが流れていたことを思い出す。この曲名は「私はこんな風に生まれてきたの」という意味だが、その後に「文句ある?」ってセリフが続いているように感じる。「人の生き様に文句つけんな!」と啖呵を切っているのだ。みんなそれぞれ生きたいように生きればいい。ロック本来のまっすぐなメッセージだと思う。
このアルバムで一番のお気に入りは「ヘアー」だ。メッセージとしては「ボーン・ディス・ウェイ」と同様自分らしく生きる大切さを歌っているけど、こちらのガガは10代のイメージ。ハジけた髪型にキメるとママに切られちゃうと嘆く少女ガガが、「なんでなりたい自分になっちゃダメなの?」「私は私らしくしたいだけ」「私はこの髪のように自由なの」と歌い上げた後、「hair, hair, hair」と繰り返す。
この曲が出た年、アメリカで14歳の少年ジェイミー君が命を絶った。ゲイを理由にいじめられて。「ボーン・ディス・ウェイ」で「ゲイでもストレートでもバイでもレズビアンでもトランスジェンダーでも構わない」と歌うガガも、少女時代にとんがった生き様でいじめられたという。
ガガは直後のライブ会場でジェイミー君の映像を掲げ語った。「今夜、彼にこの曲を捧げたい。彼はとても若かったんです」そして「ヘアー」をピアノで弾き語り始めた。「もうたくさん。これが私の祈り。髪のように自由に生きて自由に死ぬの」…そして叫んだ。「いじめなんて負け犬がすることよ!」わき上がる大歓声。ガガは続けた。「ジェイミー、私は誓うわ。私は髪のように自由だって」
これはもはや僕にとって「軍歌」である。新人記者の頃、軍国酒場で歌った軍歌と同じく。軍歌は戦意を鼓舞するもの。では“ガガ軍”は何と闘っているのか? いじめ、暴力、圧力。自由を抑圧するものと、人々の幸せのため闘う。世の“はじかれ者”たちのために。
記者の仕事も同じなんだ。だからガガの軍歌で戦意を奮い立て、取材に“出撃”する。今日も明日もこれからも。“戦果”はきっとその先にある。
いじめだけではありません。子どもたちが学校に行きたくなくなる理由はいくらもあります。それが毎年夏休みの終わりになるたびに取り上げられます。でも、肝心の子どもたちの居場所を大人の責任で用意しようという機運はなかなか盛り上がりません。
2年前、「夏休みの終わりに子どもを死なせないために 学校の息苦しさこそ変えるべき」という記事をヤフーニュースで出しました。その記事を再掲します。不登校保護者会のメッセージも再掲しています。
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